2009年4月17日 (金)

粟津則雄著作集

Awadu 大きな花束を抱える粟津則雄氏

『粟津則雄著作集』完結記念の祝賀会が東京飯田橋のホテルメトロポリタンエドモンドで開かれた。詩、絵画、音楽など、多岐にわたる全7巻の大冊である。粟津さんは少女時代のわたしをランボーやボードレールに導いてくれた方だ。今もNHKブックスの『アルチュール・ランボー』を大切にしている。初めてボードレールの「秋の歌」を交響楽の演奏に比喩した美しい批評を読んだときの感動を覚えている。彼の批評の言葉は、問いかけやなぞや否定の山や谷を越えていき、次第に独特のとらえかたで根源的な深みに分け入っていくスリリングなもので、詩的な感動があり、そんな批評が可能であることを教えてくれたのだ。それになにより、20年近く前にわたしのつたない詩集に賞を授けてくれた人でもあり、今は歴程の大先輩でもある。同人会などでお声をかけると照れたような笑顔を浮かべてくださる。こわもてだがこころの優しい方であるらしい。ここ数年何度かの手術を乗り越えて来られたが、そんな様子は感じられずかくしゃくとしておられる。ほんとうにおめでとうございます。

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2009年3月13日 (金)

高貝弘也詩集『子葉声韻』

Siyo 高貝弘也詩集『子葉声韻』

高見順賞受賞式。高貝弘也さんの詩集『子葉声韻』が高見順賞を受賞した。何人かの方が語っていらしたことだが、「弱さも極まると何よりも強くなる」ということを実感させてくれる。繊い、儚いものを言葉少なくうたって、切々と訴えかけるものがある。素晴らしい詩集です。

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2007年11月 1日 (木)

歴程祭

Photo_2 働く人シリーズ。プラタナスの枝を下ろして片付ける人

今年の歴程祭。ご興味のある方は 「歴程web」インフォメーションへメールでお問い合わせください。

お気軽にどうぞ。。。info担当はわたしなので。。。

新鋭賞の三角みづ紀さんの詩集『カナシヤル』とっても泣けました。

日時 2007年11月9日(金)午後6時開会~8時半終会
場所 東京飯田橋ホテルメトロポリタンエドモンド
第45回『藤村記念歴程賞』及び第18回『歴程新鋭賞』授賞式・受賞パーティ
第45回『藤村記念歴程賞』(正賞・副賞50万円・記念品を贈呈)
受賞作品 ☆岡井隆(おかいたかし)『岡井隆全歌集』全4巻(思潮社刊)
並びに今日までの全業績
第18回『歴程新鋭賞』(正賞・副賞10万円・記念品を贈呈)
受賞作品 ☆三角みづ紀(みすみみづき)詩集『カナシヤル』(思潮社刊)
選考委員・歴程同人
岡井さん、三角さん、おめでとうございます。

式次第
『藤村記念歴程賞』
選考経過報告 粟津則雄
藤村記念歴程賞贈呈 辻井喬
岡井隆の仕事について 篠 弘
受賞者挨拶 岡井隆
花束贈呈
『歴程新鋭賞』
選考経過報告 粕谷栄市
歴程新鋭賞贈呈 長谷川龍生
三角みづ紀の仕事について 福間健二
受賞者挨拶 三角みづ紀
花束贈呈
受賞パーティ

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2007年10月20日 (土)

新井豊美詩集『草花丘陵』

20071028311 今年の晩翠賞は新井豊美さんの『草花丘陵』が受賞した。恒例の贈呈式が仙台文学館で行われた。わたしのとても好きな詩集だったのでとりわけうれしい。新井さん、おめでとうございます。

「草花丘陵」の終わりの三連を引く。

(略)

木を呼び 草を呼び

仮名書きの階調を折り返し裏返し

(消えゆくまぼろし 散り敷くクサバナのはかない水茎を拾いあつめて

あえぎつつもつれつつゆく棒の先から

丘陵は真っぷたつに割れて



「ハナノオカ」

「シモクサバナ」

「ニシクサバナ」



バス停をすぎれば

ない草花の

クサバナ丘陵に早くもにじむ

凋落の気配

子どもづれでにぎわう

秋川のほとり

灰色の

公衆便所

割れた鏡の前に呆然と

影の男が立って

いる

「影の男」とはだれだろう。この荒涼たる風景に既視感がある。かつては「旅人かへらず」の詩人が多摩川をさまよい、ここ秋川では素裸で苦しげに石をのどに詰まらせながら、なおもペンを持ち書こうと意志する詩人が、「凋落」を視ているのだ。

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2006年8月15日 (火)

金子光晴

Photo_12 歴程セミナーで金子光晴について話すことにしたのだが、改めて詩集を読みながら身の程知らずだったとやや後悔。ともあれ決めてしまったものはしかたがない。この恐るべき詩人になんとか齧りついてみるしかない。わたしが好きなのは、戦後すぐ出版された『女たちへのエレジー』の「南方詩集」に活写された、太平洋戦争直前の東南アジアの人々の姿だが、今日は終戦記念日でもあるし、戦前という時代とはどんな時代だったのか、想像してみるのもいいかもしれない。あれ、今と似ている?なんてぞっとするかもしれないけど。

日中戦争が始まった昭和12年、金子光晴は詩集『鮫』を人民社から出版した。妻森三千代とともに無一物で東南アジアを数年間放浪し、日本へ帰って数年後のこと。ヨーロッパの植民地支配や日本の軍隊がそこに住む人々を鮫のように食いちらかすのを見た。のちに詩集『鮫』は金子が日本で唯一の抵抗詩人とよばれるゆえんとなる。

こころをうつす明鏡さといふそらをかつては、忌みおそれ、
――神はゐない。
と、おろかにも放言した。
それだのにいまこの身辺の、神のいましめのきびしいことはどうだ。うまれおちるといふことは、まづ、このからだを神にうられたことだった。おいらたちのいのちは、神の富であり、犠とならば、すゝみたってこのいのちをすてねばならないのだ。
……………………。
……………………。

つぶて、翼、唾、弾丸(たま)、なにもとゞかぬたかみで、安閑として、
神は下界をみおろしてゐる。
かなしみ、憎み、天のくらやみを指して、おいらは叫んだ。
――それだ。そいつだ。そいつを曳きずりおろすんだ。

だが、おいらたち、おもひあがった神の冒涜者、自由を求めるもののうへに、たちまち、冥罰はくだった。
雷鳴。
いやいや、それは、
灯台の鼻っ先でぶんぶんまはる
ひつっこい蠅ども。
威嚇するやうに雁行し、
つめたい歯をむきだしてひるがへる
一つ
一つ
神託をのせた
五台の水上爆撃機。

(中央公論社刊『金子光晴全集』第二巻『鮫』より「灯台」から「三」の部分)

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2006年2月15日 (水)

松下育男さんのブログ

昨日書いた記事はコメントには愚痴と書きましたが、やはり大事なモンダイだと思ったので、内容を分割して新しいタイトルを付けた。わたしとしてはささやかな問題提起である。自分のことなのだから、自分で言わなければしかたがない。

記事を書きながらふと思った。こんな気持ちをいつか味わったことがあるな。教室に確かに存在する人がいるのに、いないようにふるまう。小学校のころのシカトである。そのときわたしは透明人間になってしまっていた。大人になってもたまにそんなふるまいをする人がいる。でも、こんなに公然と、公器である商業雑誌で、こんな子供じみたシカトをされるとは思わなかった。

ところで、松下育男さんのブログ

http://blogs.yahoo.co.jp/fampine

を愛読しているが、彼の存在感のなさは実に印象的だ。床屋でも店の中でも、人々は彼を素通りしてしまう。駅のたくさんある出入り口で、道に迷って途方にくれる彼の気持ちがわかる。わたしもそんな体験がよくあるのだ。でもこんなふうにリアルに仔細に、その存在の希薄を表現できるのはこの詩人しかいない。彼のブログの特に初めの時期の文章に引き込まれた。毎日作品をアップして読解をしてくださっている詩人石原吉郎は、わたしも若いころ愛読した。でもあまり無理をしてからだを悪くされるとたいへん。毎日でなくてもいいから、ゆっくりのんびり続けてください。

その松下さんが、ご自身の詩をブログにアップされた。まだ一読だが、やさしい言葉で存在の本質をやわらくつかみとってくる方法は、だれにもまねできない。詩の書き方自体が、この詩人そのものを体現しているのだ。

松下さんは長い沈黙を経て、昨年「生き事」という詩誌を始められて、話題になった。わたしも読んでみたいと思っていたのだが、その中に掲載されている「火山」がブログにアップされていたのを読んだ。2006年2月4日の記事である。

松下さんの最初の妻で評論家の松下千里さんが自死するまでを書かれた詩である。二人が住む家から見える「火山」とは、詩、文学へのあこがれであると同時に、若い二人の生への強い希求であったろうか。彼女は創作につまづき、編集者が自分の悪口を言っている、みんなに嫌われている、という妄想に苦しんでいたようだ。夫が眠っている間に同じ家の中で死んでしまうようなことは、残されたものを一生苦しめる。その後松下さんは再婚し、幸せな家庭をもった。それでも彼はいまだに生きたここちがなく、この世で影を薄くうすくしているようなのだ。

松下千里評論集『生成する「非在」』を古本屋で手に入れたのは20年ぐらい前だった。もう一度読みたいが書棚に見つからない。あるいは詩の私立図書館「まほろば」へ、ほかの詩集といっしょに送ってしまったかもしれない。若くして評論集を持った才能ある女性が、自分の書く場所を見つけられずに苦しみ、あげくに死を選んでしまう。ほかに書いていく方法はあったはずなのに、若いということはそのことに思い至らない。すべてが閉ざされてしまったように思いつめ、愛する人すら救いにならなかったのだ。

苦しむことのできる才能というものがある。どんなに苦しんで身を細らせても、作品はそのたびに深みと厚みを加えていく人だ。結果的に彼女はその力を獲得できなかったのだ。年齢を重ねるということは、それだけ感性が鈍るが、苦しみも少なくなる。先に道は一本しかないのではない。自分なりの道は無数に作り出すことができる。それは、長く苦しんだあげくに生きる方法をつかみとったからだ。松下千里の評論集を読んだ一人として、彼女の才能を深く惜しむ。そして、松下育男さんには、その存在感をありのままに、詩を書いていってほしいと願わずにはいられない。

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2005年12月 4日 (日)

ロバート・ブライの詩

Rimg2680 アメリカの詩人、ロバート・ブライの詩集「Silence in the Snowy Fields」を読む会に出席する。茂本・伊東夫妻宅で、中上哲夫さんを講師に、6人ほどが月1回集まっている。わたしはまだ2回目の参加である。久し振りに大学受験時に使った英語の辞書を引っ張り出すと、紫陽花の花がページの間に押し花になっていた。そのページの単語sensuous(感じの鋭い、美感に訴える)に赤いアンダーライン。あれほど何年も英語を勉強したのに、自転車の乗り方、あるいはタイプライターのキータッチのようには英単語や構文が思い出せない。学生時のあの努力はいったいなんだったのだろう。

ロバート・ブライの詩はアメリカの詩人にしては日本人の感性に合うという話だ。情景描写が俳句的らしい。今のところ、けっこう地味な情景描写が多く、雪景色な好きな渋い男だね、という感じしかわからない。擬人法が多いのが古めかしい感じがする。もっとも4編しか読んでいないのであしからず。

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