すずらん通りの街路樹
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『粟津則雄著作集』完結記念の祝賀会が東京飯田橋のホテルメトロポリタンエドモンドで開かれた。詩、絵画、音楽など、多岐にわたる全7巻の大冊である。粟津さんは少女時代のわたしをランボーやボードレールに導いてくれた方だ。今もNHKブックスの『アルチュール・ランボー』を大切にしている。初めてボードレールの「秋の歌」を交響楽の演奏に比喩した美しい批評を読んだときの感動を覚えている。彼の批評の言葉は、問いかけやなぞや否定の山や谷を越えていき、次第に独特のとらえかたで根源的な深みに分け入っていくスリリングなもので、詩的な感動があり、そんな批評が可能であることを教えてくれたのだ。それになにより、20年近く前にわたしのつたない詩集に賞を授けてくれた人でもあり、今は歴程の大先輩でもある。同人会などでお声をかけると照れたような笑顔を浮かべてくださる。こわもてだがこころの優しい方であるらしい。ここ数年何度かの手術を乗り越えて来られたが、そんな様子は感じられずかくしゃくとしておられる。ほんとうにおめでとうございます。
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昼休みの東御苑。春たけなわである。近所のビルから大勢のサラリーマンたちがしばしの春を堪能しようと御苑にあつまってくる。わたしも弁当を持って日参する。いつまでこうして御苑に来られるかわからない。見られるときに存分に楽しんでおかなければ。
耳を澄ますとたくさんの鳥たちの鳴き声、雀が足下にご飯粒をねだりに来る。御苑の雀は人を恐れない。カラスが一羽近くの枝に止まって鳴いているが、その声が何かおかしい。ゴロゴロとかガボガボとか、ちょっと金属的な声が挟まる。何か物音をまねているのかと思って見ていると、隣のベンチでやはりしげしげと首を巡らせてそのカラスを見ている男がいる。ちょうど弁当を食べ終えていたし、一人でいる人は近くではほかにいなかったのでふと声をかけた。「あの声はなんでしょうね。カラスは物まねがうまいといいますけど。」すると男は言った。「へえ、そうですか。しかしなんでここにカラスなんかいるんでしょうね。木の虫を食うからかな。」としきりに首をかしげる。どうやらカラスの存在が不満であるらしい。ここがいくら皇居で、セイヨウタンポポは根元から抜かれてしまうにしても、カラスは空から飛んでくるのだから、どうしようもないだろう。「カラスは悪食だというから、何でも食べるでしょうけど、でも鳥はほかにもたくさんいるし。。。」と答えると、「雀しかいないでしょ。」と言うのでまた驚いた。「え、たくさん鳴いてるじゃないですか」。種類はわからないが、空で盛んに鳴き交わす何種類もの鳥の鳴き声が聞こえないのだろうか。わたしは立ち上がって男に挨拶してそこを立ち去った。同じものを見ていても人が考えていることはまったく違うということは確かにあるのである。
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趣向を変えていつもの御苑ではなく浅草へ。人混みの苦手なわたしであったが、浅草寺の天井の龍や天女の絵を眺め、巨大なお賽銭箱に驚愕する。大きなたこ焼きのあつあつをほおばり、雷おこしやせんべいを買って楽しんだ。近所の公民館を借りてワンラウンド、余白句会から飛び入り参加の故辻征夫さんの弟さんが、お兄さん譲りの柔和な笑顔で句会始まって以来の高得点となった。場所を飲み屋に変えて終いは神谷バーへ。デンキブランを飲んでみんながすっかりできあがったもよう。
悟空なき春やましろき龍の玉(木履)
たこ焼きの焼ける間に過ぐ寺の春
寺の春巨大な箱が人を呑む
春の店苦き味するもの飲めり
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