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2009年1月21日 (水)

学校って?

Photo_2 神田救世軍本部のショーウインドウ

大学に通ったのはウン十年前だし、当時はアルバイトに忙しくろくな青春を送っていない。卒業以来まったく縁がなく関心外だったが、今の勤務先の近くにあるので、近くの古本屋街を歩いたりしているうち、当時の記憶が少し蘇ってきた。建物の正面の石造りのドームがあったところに、いつのまにか巨大なタワーが建ち、そのわきにりっぱな図書館がある。卒業生だと利用可と知って利用カードを作った。蔵書は論文や評論などやや硬めだが、パソコンの貸し出しがあり独習のテーブルが広くて、じっくり読んだり書いたりするのにいい場所だ。パソコンの使用エリアではたくさんの学生が利用している。ワードなど簡単なソフトを練習できるようだ。みな黙々とキーを叩いていて、今どきの学生は結構まじめなのか。
今の会社に入ったばかりのとき、何かというと出身県や卒業大学を尋ねられるので驚いた。そんなことよりその後培ったスキルをこそ重視してほしいのだが、未だにそんなことが仕事に関係あるのだろうか。あとになってから、それはただの話の接ぎ穂に過ぎず、わたしの年齢なら聞くまでもなくスキルはあって当然、というわけなのを知ってほっとしたのだが。
もともと学校というところが嫌いだし、わたしの学生生活は孤独感が強く、ろくな思い出もなく当時に戻りたい気持ちはまったくない。でも今の大学には一般人向けの講座がいろいろ開設されていて、夕方ちょっと勉強しに行きたい気になってくる。

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2009年1月11日 (日)

初句会

Photo_3 2009年初句会

新宿花園神社吟行

松過ぎて目利きもおらず骨董市(木履)

絵双紙の乱れし市や小正月

初空やからの鳥籠売られをり

初富士や車窓に三秒恵まれて

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2009年1月 9日 (金)

トルコという国

Nursel

在独のトルコ人監督ファティ・アキンの映画「そして私たちは愛に帰る」を見た。娼婦イエテルを演じたヌルセル・キョセの、ナイフで削ったように深い縦じわの表情が印象的。
わたしはこのごろ、イスタンブールに数年在住した家族と親戚関係になったのだが、彼らによるとトルコは懐かしい、親愛なる国らしい。そんなわけでトルコに少し興味をもっているのだが、村上春樹の『雨天炎天』を読むと、トルコという国は5つの地域に分かれていて、それぞれ違う顔をもっているようだ。特にイラク国境あたりは厳しい政治状況にあるらしい。

映画「そして私たちは愛に帰る」は、こんな物語。ドイツに在住するトルコ人の大学教授ネジャットと父親、その父親と結婚するが殴られて死んでしまう在独トルコ人の娼婦、その娼婦の娘でトルコで反政府活動をするアイテン、アイテンを助けるドイツ人の女子大生ロッテとその母。3組の親子の運命が、すれ違い、離れつつ、やがてひとつにない合わさる。ドイツでのトルコ人差別やトルコでのクルド人問題を背景にして、愛し合いながら分かり合えない親子の心が少しずつ重なっていく。切なく後味のよい映画になっている。

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2009年1月 5日 (月)

明けました。おめでとう

Photo 伊東温泉、池田美術館 個人の経営だが、バラエティに富んだ収集でおもしろかった。

たっぷりあると思った正月休みはあっという間に終わった。暮れは27日から正月5日まで、10日もあったんだぞ。なのにしたいと思ったことがほとんどできずじまい。したかったのは、狭いわたしの部屋を覆い尽くそうとしている大量の紙類を処分して、ついでになかなか見つからない失せ物を3つ見つけ出すことだのだが、結局とりかかれず、適当に掃除をしおせちは煮物だけ作り、大晦日に義母をホームから連れてきて、娘夫婦と息子夫婦が孫を連れて入れ替わり立ち替わりやってくる三が日をすごした。久しぶりに家族の食事を朝昼晩作るということをやった。これがこれから毎年続くのだろうか。4日に友人と伊東の温泉に一泊してようやく正月気分を味わったが、宿では31日締め切りの原稿を必死で書いていた。正月に何かしようと思うこと自体がまちがいなのだと悟った。

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