詩人梅田智江の死
早朝の蜻蛉池はカラスウリの花がしぼんでしまっていたが、たくさんのチョウトンボが生まれていた。池の上を4枚の羽をひらひらさせて飛ぶ黒いチョウトンボは、ちょっと不思議な雰囲気がある。ほっそりしたイトトンボも真っ赤なトンボもたくさん。
娘さんからファクシミリが届いて、7月31日に詩人の梅田智江さんが亡くなったことを知らされた。昨日のお通夜には出られなかったが、ナイトハイクで次々に生まれるものたちに囲まれて、死んでいくもののことを思っていた。大急ぎで朝食を済ませて、ほかにいそいで帰る数人と、まだ開かない門を開けてもらい、駅まで送ってもらって告別式へ。ぎりぎりだったがお焼香に間に合った。棺の中の梅田さんはほほえんでいるようだった。末期のがんが見つかってわずか数か月。あっという間だった。『変容記』や『so alone』など、体当たりの力作を次々に書いた。生き方がそのまま作品に現れる詩人は現代では少ない。わたしは八王子のアルカディア・リーディングに誘われて知り合ったが、そのころはあまり書かなくなっていて、たびたび海外に出ているようだった。告別式の会場には、旅行中の楽しそうな写真がたくさんあった。梅田さんのHP「赤玉」はまだ閉鎖されていない。どうか作品を読んでみてください。
散会のあと、友人とお昼をいっしょにして、午後から新宿御苑の吟行へ。疲れ果てていてワンラウンドで帰ることにした。
生きてさへ会はぬ人訪ふ炎暑かな(木履)
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コメント
関ofuji様、温かなコメントをありがとうございます。
Wikipediaに梅さんの項を最初に書いたのは私ですが、ちょっとずつ改良・改悪があって、現在のところ正確さに欠ける感じがします。もしご存知の箇所がありましたら、お時間のあるときに手を加えていただければ幸いです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A2%85%E7%94%B0%E6%99%BA%E6%B1%9F
出すぎた行動をしたかもしれませんが、絶えず表現者だった梅田さんを偲ぶひとつの方法と考えました。
投稿: K.Daichi | 2009年6月28日 (日) 23時45分
確かに梅田さんのサイト「赤玉」が閉鎖されていますね。残念!!!
もう少し置いていただきたかったですね。
ご家族が管理していらっしゃるはずです。
メールでアドレスをお知らせします。
「赤玉」は、直接梅田さんの息づかいが伝わってくる場所でした。
わたしも生前の不義理に、さまざまな悔いが胸をかけめぐります。K.Daichiさんの思いもよくわかるような気がします。
今はただこうして亡くなった人を偲ぶしかないのでしょうね。
投稿: 関ofuji | 2009年4月 7日 (火) 17時54分
2週間前には見られた梅田さんのHPが、数日前から閉鎖されてしまったみたいです。
私は梅田さんの旅のいち友人です。2冊の詩集を頂戴したまま感想を言わないままに2年が経ち、亡くなる半年ほど前に「また会いたいですね」とメールをいただきましたが、非礼を残してしまいました。
梅さんのHPの保存を試みましたが、部分的にしか上手くいかず、そのことも悔いています。
もしどなたかが取っておいていらっしゃるならばよいのですが・・・
投稿: K.Daichi | 2009年3月31日 (火) 00時07分