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2007年3月31日 (土)

ヤモリ

娘に付き添ってもらって、ペット霊園でちゃこを火葬してもらった。お経も上げてくれる。小さなきれいなお骨になった。細かい爪や歯などをていねいに拾って、木の箱にいれてもらった。儀式は残されたもののためにある。ほっとして心が慰められた。

リュックにお骨を入れて娘と別れ、そのままジムに行った。疲れていたので風呂だけでも入りたかった。あがって脱衣所に出ると、女たちが裸で群がっている。何事か、と聞くと、棚の下にヤモリがいるという。のぞいてみるとちいさなかわいいヤモリである。脱衣所は湿気があるのでつい迷い込んだのだろう。そうこうするうちにジムの受付の女性たちが掃除機を持ってやってきた。捕まえられないので、吸い込んでしまおうというのである。わたしは驚いてちょっと待って、と腰布一枚でヤモリの前に立ちはだかった。わたし、捕まえられるから、と言ってすばやくかがんでヤモリをつかんだ。女たちがああっと叫ぶ。そのとき、ヤモリは身をくねらせて逃れようとし、必死で小さな口を開けて小さな歯でわたしの指を噛んだ。その瞬間をわたしは一生忘れないでいたい。生き物のその繊細な柔らかい力。少しも痛くない。タオルを入れる袋にすばやく隠しすと、掃除機をかついで立ち尽くすジムの若いかわいい女の子たちに会釈をした。ああーっという歓声とともに、期せずして拍手が沸いた。わたしはちょっと照れながらその場を立ち去ったのであった。

自転車で黒目川の桜並木まで来て、土手でヤモリを草に放した。灰色がかったきれいな爬虫類。ニホンヤモリはしばらく掌の上で首を伸ばし、水のにおいをかいでいたが、静かに草むらに消えていったのである。

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2007年3月30日 (金)

Photo_22 ちゃこ 2005年4月の桜咲く黒目川にて

今日、午後2時半ごろ、ちゃこが亡くなった。家族のだいじなだいじなちゃこだった。16年と5か月。よくかわいがられて、幸せに生きたと思う。病気ひとつしなかったが、ここ2年ほど心臓が弱っていた。水しか飲めなくなってちょうど1週間だった。わたしは死に目に会えなかったが、実家を離れた子供たちが交代で見舞いに来てくれて、死んだときは娘と夫といっしょだった。わたしが帰宅すると、ソファの上の箱の中に横たわり、笑っているように少し歯をむき出して、目を細く開いていた。まだ温かい気がしたが、もう呼吸は聞こえず、胸も動かない。明日、火葬してもらい、お骨を家に安置する。

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2007年3月29日 (木)

東御苑

Photo_21 皇居東御苑

毎日都心に通勤するのはちょっと怖い。テロに巻き込まれたらどうする。地下鉄の長い通路を大勢で蟻のようにぞろぞろ歩いていると、いつ天井が崩れてもおかしくない気がする。わたしはここで死ぬ運命なのか。この辺の地震の避難場所は、徒歩5分の皇居東御苑だそうだ。しかし、そこにたどり着くまでに、ぶんぶん車両が走る首都高速の高架をくぐりながら、下を流れるお堀の橋を渡り、広い内堀通りの信号を渡り、さらに満々と水をたたえた内堀の橋をもう一つ渡らなければならない。まるで障害物競走である。地震が起こればきっと高速道路はぐにゃりと曲がり、橋は崩れてお堀の水にまっさかさまだろう。泳いでなんとか土手を這い上がれればいいが、はて、わたしのような必死の形相の避難民が殺到したら、いつも門番が立っているあそこの門は本当に開くのだろうか。

なんてことを考えながら、うららかなお花見日和に、平川門をくぐる。初めて入ったが、見事な松やあちこちに満開の桜。他にも花ずおうやミツマタやミズキなど、花木がたくさんあり、野草園にはすみれが咲いている。広い芝生で昼から酒盛りする人々。ここは元江戸城の大奥があったところだそうだ。なんてきれいなところだ。まるで天国である。これから昼休みには毎日来よう。

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2007年3月20日 (火)

所属先

Lunch 黒パンのランチ

新しく通勤している会社は、老舗の教科書会社の子会社で、わたしはなぜだか家庭科の教科書を担当することになった。国語一筋30年なのに、いちからやり直しである。しかし家庭科はおもしろい。現代生活に欠かせない重大知識が網羅されていて、実にためになるのである。現代社会経済、環境問題やカード社会、結婚・出産・育児、高齢者問題、調理、被服、住宅と、衣食住すべての現在を学ぶのが家庭科なのだった。大人が読んでも今すぐ役に立つことばかり。家庭に一冊、家庭科教科書を備えることをお勧めする。

会社の人はもちろんのこと、親会社の人につぎつぎに引き合わされて、そのたびごとに名刺をもらった。人々は実にさりげなく胸の辺りから小さな四角い白いカードを取り出して、名乗りをあげてはお辞儀をしあうのである。この儀式がなければ、社会の人間関係は回らないらしい。もっとも、すぐ人の名前を忘れるわたしには、名刺は便利だ。ずいぶんたまったのでほくほくと名刺ファイルに整理する。わたしの名刺もできてきたので、会う人ごとに両手で捧げてお辞儀をしては受けとってもらう。会社の名前の入った名刺を使うのは、実にウン十年ぶりのことである。ひとときでも、何かに所属するって、安心するものなんだな。

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2007年3月 5日 (月)

吟行句会

Hanataba_1 先月さぼった吟行、今月は暖かな日差しをあびて、御苑を歩いた。昨年の2月に亡くなった宗匠、白川宗道さんの追悼句会もかねて、「白」と「道」を折り込んだ一句。

道まよふ額おもたき白木蓮 (木履)

ほかに

春木かげ屈折率を深くして

母の雛ホームの部屋に並びをり

麗ら日に無一物なる二人会ふ

妹の泣き顔に似て黄水仙

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